オスカー・フィッシンガーという著名なアニメーターをご存知ですか?
彼はディズニーアニメの制作にも携わっていました。
アニメーターといっても、テレビで見るようなアニメではなく、抽象アニメーションと呼ばれる作品を数多く手がけていました。
抽象アニメーションとは、感情的な動き、リズム、光、構図のユニークな性質に頼ったアニメのことを言います。
と、言われてもピンと来ないと思いますので実際にどのようなものか見てみましょう。
芸術系専門学校のCMに使われていそうなアニメですね。
本記事では、生涯で50作品以上の抽象アニメと、800作品もの抽象画を生み出したオスカー・フィッシンガーの秘密に迫ります。
オスカー・フィッシンガーの略歴
幼少期
オスカー・フィッシンガーは1900年にドイツで生まれました。
少年期、パイプオルガン製作会社で働いていたオスカーですが、会社のオーナーが徴兵され職を失います。
彼も徴兵されるはずだったのですが、健康上の理由から徴兵を免れ、その後貿易学校に通いエンジニアとしての道を歩み始めます。
抽象アニメとの出会い
1921年、ドイツのフランクフルトに住んでいたオスカー・フィッシンガーはそこで抽象アニメの先駆者ヴァルター・ルットマンに出会い、彼の作品に強い感銘を受けます。
そして「ワックススライシングマシン」とよばれる、抽象アニメ制作機器を開発しました。
それを使った作品がコチラ。
しかしこの機器をヴァルター・ルットマンに譲り渡し、彼はベルリンでアニメスタジオを設立します。
ドイツからアメリカへ
1936年、ドイツナチスの抽象芸術弾圧から逃れてアメリカのハリウッドへ亡命しました。
そこでディズニーアニメ初期の代表作「ファンタジア」の制作に携わることになります。
しかしウォルト・ディズニーが求めているのは「抽象的な表現」ではなく「具体的な表現」であったため、制作クレジットに名前を残さず作品制作を降板しました。
オスカー・フィッシンガーの最後
オスカー・フィッシンガーは1967年、66歳で亡くなりました。
晩年はアニメーションより絵画に専念し多くの作品を残し、芸術家、音楽家、映画製作者など多くの人物に影響を与えたと言われています。
音楽は「音の世界」に限られたものではない。音楽はヴィジュアルの世界にも存在する。-オスカー・フィッシンガー,1951