ヴィクトル・ユーゴー | 年表で振り返る生涯と作品。最短の手紙とは?  

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レ・ミゼラブル」など、誰もが一度は耳にしたことがある小説作品で有名な、政治家であり詩人、小説家のヴィクトル・ユーゴー

1802年にフランスで生まれたヴィクトル・ユーゴーは若い頃から詩人として活躍しながら、議員も務める有能な政治家でした

母親の影響から、王党派的な詩を多く残したユーゴーは、少年時代は疎遠であった父レオポールの影響でロマン派の文学を代表する作家となります。

フランスの7月革命時には革命を称える詩を書き、その為19年もの亡命生活をベルギー行いますが、最期は祖国フランスのパリで偉大な文豪として生涯を終えました。

 

小説家ヴィクトル・ユーゴーの生涯を年表で振り返ります。

 

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ヴィクトル・ユーゴー年表

1802年 2月26日 フランス・ブザンソンに生まれる。父はナポレオン配下の将軍、母は王党派と政治的立場は正反対だった。

1817年 アカデミーフランセーズの詩のコンクールに応募選外佳作となる

1819年 兄弟3人で文芸誌を創刊

1821年 母親のソフィーが死去

1822年 詩集『オードと雑詠集』を出版
同年 10月 アデール=フーシュと結婚

1829年 『東方詩集』を出版 小説『死刑囚最後の日』を出版

1830年 戯曲『エルナニ』の初演。「エルナニ合戦」と呼ばれる激しい論争を巻き起こす。
    7月革命、ルイ・フィリップによる7月王政

1831年 小説『ノートルダム・ド・パリ』を出版

1845年 小説『レ・ミゼラブル』のもとになった『レ・ミゼール』を書き始める。貴族院議員になる。

1851年 『静観詩集』出版
    議会で、大統領の憲法改悪の野心に反対する演説を行う
    ベルギーに亡命

1852年 ルイ・ナポレオンを批判する『小ナポレオン』を出版

1853年 『懲罰詩集』を出版

1851年 『静観詩集』を出版

1859年 『諸世紀の伝説』を出版

1860年 『レ・ミゼラブル』の創作を開始

1862年 『レ・ミゼラブル』を出版

1868年 妻アデール=フーシュ死去

1870年 フランスに帰国

1874年 『九十三年』を出版

1878年 居宅のある通りが、ヴィクトル=ユゴー通りと改名

1885年 5月22日 死去

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余談

最短の手紙

1862年『レ・ミゼラブル』が出版され、ヴィクトル・ユーゴーはその売れ行きが心配で、出版社に「売れ行きはどう?」という意味でわずか一文字「?」と書いただけの世界一短い手紙を送りました。

 

そしてその返信として出版社から「売れ行き絶好調です」という意味の「!」とだけ書かれた返信が届きました。

 

これが世界でもっとも短い手紙ということはあまりにも有名です。